NISMO FESTIVAL at FISCO 2002

NISMO FESTIVAL at FISCO 2002

星野のファイナルランに4万9000人のファン、酔う!

12月1日、富士スピードウェイ(FISCO)で「NISMO FESTIVAL at FISCO 2002」が開催され、星野一義が4万9000人のファンの前でファイナルランを披露した。
当日は朝からあいにくの冷たい雨模様となったが、4時のゲートオープンを待ちきれず前日から泊り込むファンの姿も。入場のピークは9〜10時で、FISCOの駐車場が一部工事中だったこともあり、富士霊園の臨時駐車場を使用することで応対していた。
今回、ファンの前でのファイナルランとなる星野は、NISMOスタッフ、ホシノレーシングが準備したさまざまなレーシングマシンをドライブした。まず8時10分からのチェック走行では、グループAのカルソニックスカイライン(R32)。9時40分からのカテゴリー混走模擬レース1では、今回このイベントのためにレストアされたツーリングカーレース仕様のチェリー(E10)。11時50分からの同乗走行時には、今回のためにキャビンカラーを施したF3000。午後からは雨も上がり、14時30分からのカテゴリー混走模擬レース2では、グループAのカルソニックスカイライン(R32)とJGTCのカルソニックスカイライン(R34/VQ)をドライブ。中でもグループAスカイラインの際には、最後尾スタートに不満だった星野選手が、スタートと同時に次々と前車をかわして、なんと1コーナーではトップに躍り出たばかりか、往年の“星野パターン”よろしく、他車両をぶっちぎってトップでゴール。その姿に酔いしれるファンも多かった。
またトークショーでは、前半は砂子義一、高橋国光、北野元、高橋健二、柳田春人らニッサンのドライバーと、後半は片山義美、松本恵二、関谷正徳、中嶋悟ら同時代を戦ったドライバーと楽しい昔話に花を咲かせた。
いっぽうパドックでは「星野ミュージアム」が設営され、80年代のフォーミュラ・パシフィック、数々のトロフィーやレーシングスーツ、写真が展示された。また、その隣のカルソニックのブースでは、カルソニックレーシングチーム関係のグッズの販売が行われ大勢のファンでにぎわった。もちろんカルソニックカンセイサーキットレディーズの湯山ひろこさん、奥野静香さんも撮影会やファッションショーに登場して華を添えた。
そして圧巻だったのは、16時からのフィナーレで見せたレーシングマシン一気乗り! まず今回のためにレストアされたスーパーシルエット仕様のニチラシルビア(ニチラ=日本ラヂエータ=カルソニックカンセイの旧社名)、次にグループAのカルソニックスカイライン、かつて富士のストレートを380km/hのスピードで駆け抜けたCカー、カルソニックニッサンR92CP。そして最後は98年のル・マン24時間で日本人トリオによる最高位(3位=当時)を獲得したときのマシン、R390 GT1。このフェスティバルに駆けつけたすべてのドライバーがレーシングカーをドライブしてホームストレートに集合。そして最後にR390をドライブした星野が登場した。
マシンを降りた星野はセレモニーの台に上がり、家族に囲まれてファンに一礼。高木カルソニックカンセイ社長らから「長い間、ご苦労さま」と声をかけられ花束を受け取った。さらにカーボンブレーキローターを加工した記念品の時計を受け取った後、ファンへ引退の報告。途中、声が詰まるとスタンドから「頑張れ星野!」と声援が飛んだ。
佐々木NISMO社長のスピーチの後、マイクは再び星野に渡り、スタンドからの“星野コール”が響く中「恩返しができるのであれば、日本のモータースポーツに貢献したい」と述べた。さらにセレモニーに立ち会ったドライバーが星野を胴上げ。花火が上がり、星野は「ありがとう!」と手を振りながらスタンドの下まで歩いて、ファンに最後のあいさつをして、感動のフィナーレは幕を閉じた。
星野選手からのメッセージ
「もともとスピーチは得意じゃないんだけど、最後はお腹からグーッとこみ上げてくるものがあって、なかなか言葉にならなかった。何十年も、ファンや関係者のみなさんに温かく応援して頂いて本当にニッサンにいてよかったと感動しました。これからは監督としてサーキットに来ますが、これからは今まで以上に話し相手になれると思います」

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