第2戦富士ラウンドを振り返る

2位も10位も一緒。努力あるのみ!

開幕戦の岡山がダメだったから、もちろん富士では優勝するつもりでいた。NISSAN GT-Rには活躍する大きなチャンスだったし、1号車(NISMO)とウチ、つまりミシュランとブリヂストンのタイヤ対決になると読んでいた。実際そうなったんだけれど、20周ぐらいまでは同等の勝負ができた。 ところがそれを過ぎてからコンマ1〜2秒ずつ離れていくという繰り返しになってしまった。結果論ではあるけれど、反省材料がいろいろとあったね。

だから青い旗を振りながら応援してくれたファンやカルソニックカンセイの森谷社長には、優勝をプレゼントできなくて大変申し訳ないと思っているよ。これが自分たちの実力だということはスタッフ全員分かっているんだけれど、みなさんに喜んでもらえるように100%の力を出し切った。だけど負けたのは事実なんだよね。僕にとっては2位も10位も同じ。勝たなきゃいけないんだ。こんなに一緒になってレースをやってくれるカルソニックカンセイさんには本当に感謝している。これからもぜひ一緒になってレースを続けて欲しいと思うし、こんな温かいスポンサーは他にないよ。気持ちが通じ合っているんだし、富士には森谷社長自ら応援に来てもらったし、本当にうれしいね。それだけに優勝をプレゼントしたかった。

レース後にいろいろな部分を検討して、次に備えているけれど、今に見てろという気持ちでレースを戦っていくよ。僕はいつもみんなにペナルティを受けるようなレースをするな、もったいないミスはするなということを言っているんだけれど、いいレース結果を残せばドライバーだって契約金が上がるんだしね。 僕は「努力」という言葉が大好きで、いつでも努力を怠らないでやってきたつもり。人生やレースに努力しすぎということは絶対にないからね。

次のタイはできれば優勝したい。ただウェイトの軽いホンダ勢もいるし、混戦になるだろうね。でもポイントだけはしっかり取っておきたい。表彰台を含めて入賞できるようチーム一丸となって戦うよ。移動と食事がちょっと苦手だけどね(笑)。

富士の決勝日、金子(豊氏=ホシノインパル副社長、ホシノレーシング社長)が亡くなった。3年前に血液のガンと告知されて、病院や医者を変えて治療してきたんだけど、今の医学でもダメだった。せっかくなんだから身体を休めて旅行にでも行きなよって勧めたんだけど、貧乏性なのか休まないんだよね。彼は本当に僕の右腕だった。(自分が)16歳と(金子氏が)20歳という頃からの付き合いだから50年以上。女房の兄でもあるけれど、ビジネスでの女房を亡くしたようなもの。もうそれは寂しいとかいうレベルではないよ。

オレはブキ(不器用)でビジネスの才能はないけれど、彼はオレより速く走れなかった。つまりひとりの力ではダメ。本田宗一郎だってそうだったじゃない。みんな助け合って頑張らないと。小さくなってはいけないし、気持ちでは絶対にやっつけてやると意気込んでいるよ。金子が安心して向こうの世界に行ってくれるようにね。

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